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広島地方裁判所 昭和44年(タ)20号 判決

原告

甲野花子

(仮名)

右訴訟代理人

福永綽夫

外一名

被告

甲野太郎

(仮名)

右訴訟代理人

木崎為之

外一名

主文

原告と被告とを離婚する。

被告は原告に対し金一〇〇万円およびこれに対する判決確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分して各一を原被告の負担とする。

事実

一、請求の趣旨

1  主文第一項と同旨

2  被告は原告に対し金三〇〇万円およびこれに対する本判決確定の翌日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  右1、2につき仮執行の宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三、請求原因

(一)  原告と被告は昭和三一年八月一五日結婚式を挙げて同棲生活に入り、同三四年二月二日婚姻の届出をした。

(二)  婚姻生活の破綻について

(1)  被告は昭和三一年当時広島県厚生信用組合に勤務していたが、家庭に生活費を入れることなく、そのため原告は下宿を営んで生活費を捻出していたが、被告が前記勤務先を理由もなく昭和三四年ころに退職し徒遊するに及んでやむなく従来の下宿をやめて間貸しすることとし、また「水引き」製造販売の内職を始めて、家計を支えるに至つた。

(2)  原告は右の如き永年の過労から健康を害し、昭和四二年一一月ころから翌年二月ころまでの間病院に入院あるいは通院して治療に努めることとなつたが、被告はその間原告の治療費はおろか生活費さえ顧みなかつた。

(3)  昭和四三年三月一二日ころの朝、被告は原告に対し些細なことに因縁をつけて殴る蹴るの暴行を加え、左橈骨々端骨折、左肩打撲症、頭部捻挫症、左前胸部打撲症により安静加療約三週間を要する重傷を蒙らせた。

(4)  同年三月末ころ、被告の亡母の五回忌法要を営むことにつき、原告は被告に相談したところ、被告は「お前に関係はないことだ」と嘯いて極めて冷淡な態度を示した。

(5)  原告は被告と相談のうえ頼母子講に入つていたので講の掛金二万円を支払つてくれるよう被告に頼んだところ、被告はこれを支払おうとせず、隣の親元のところを訪れて「女房が勝手にしたことで自分には関係のないことだから、講金は支払えない」と告げたため、昭和四三年四月二日ころ近隣の講員が原告方に押しかけたが、その際にも被告は「自分には関係ないことだ」と言つて責任を原告に転嫁した。原告は右の如き被告の態度から、将来婚姻を継続することは到底不可能なことであると思い、離婚の決意をなすに及んだ。

(6)  同年四月五日ころ、原告の姉佐々木正枝方に於て原被告双方の親族が立会のうえ原被告が離婚する旨の協議が成立したが、原告が慰藉料を請求するや被告は前言をひるがえした。

(7)  そして原告は同年四月一四日、被告の立会を得て荷物を整理し、広島市皆実町三丁目一〇一一番地西村方に居住し、その後は病気療養に努めて以後、原被告は別居して現在に至つている。

(8)  原告は同年四月一二日ころ家庭裁判所に調停を求め、翌四四年三月一〇日に右調停は不調となつたが、右同日帰宅途上の原告を被告は外一名と共に自動車で追跡し、路上に於て殴る蹴る等の暴行を加えて無理矢理に右自動車に押し込み、高田郡甲田町所在の足利産婦人科医院に連行した。被告は原告に対し「僕と別居以来男関係のない筈は考えられないので医者に検査して貰う」と述べて無理にも受診させようとしたが、原告は隙を見て右医院から逃げ帰つて事なきを得た。

(9)  以上の事情は民法七七〇条一項五号にいわゆる婚姻を継続し難い重大な事由がある時に当るから、被告との離婚を求める。

(三)  慰藉料請求

原告は被告との婚姻中において、円満幸福な家庭をつくるべく献身的な犠牲を捧げたのに、被告の前記如き行為によつて幾多の辛酸を経たのみならず幸福なるべかりし将来を奪われたのであつて、原告の精神上の苦痛を慰藉すべき額は少くとも金一〇〇万円を以て相当とする。

(四)  財産分与請求

被告は広島市南観音町に家屋一棟を所有していたが、右家屋の購入に当つては前記の如き原告の内職による収入より分割払によつてなされたものであるところ、被告は右家屋を第三者に代金四五〇万円で売却した。原告は右家屋の売却代金について最少限二分の一の持分は有しているのであるから、内金二〇〇万円の支払を求める。

(五)  よつて原告は被告に対し右のとおり離婚および金三〇〇万円ならびにこれに対する判決確定の日の翌日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四、請求原因に対する答弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち

(1)  同(1)につき、原告が昭和三一年当時広島厚生信用組合に勤務していたこと、昭和三五年四月退職したこと、原告が部屋を間貸ししていたこと、昭和三五年より「水引」の商売を始めたことは認めるが、その余は否認する。被告は生活費を家庭に入れていた。

(2)  同(2)については否認する。原告が入院したのは先天的扁桃腺の切断手術のためである。

(3)  同(3)につき否認する。

(4)  同(4)につき否認する。

(5)  同(5)につき否認する。頼母子講の件は水引業の資金のために掛けていたのであるが、原告において被告に無断でこれを落しその使途も不明である。しかし被告は講の親元に対し支払の責を負うことを言明し、事実元利金も完済している。

(6)  同(6)につき否認する。

(7)  同(7)につき、原告が家出をし、以後別居していることは認める。原告は行先も告げず家出したものである。

(8)  同(8)につき、家庭裁判所へ調停の申立がありそれが不調になつたこと、不調になつた日に産婦人科病院に行つたことは認めるがその余は否認する。被告は原告主張の如き暴行は行なつておらず、病院に行つたのは原告が妊娠中絶十数回に及んだため健康を害したと主張するので、それを証明して貰うためであり、原告も承諾の上であつた。

(三)  請求原因(三)は争う。

(四)  同(四)は争う。南観音町の家屋の所有名義は被告であるが、その建築資金は被告の父が出捐し、被告の妹婿が多少援助したものであつて、被告の父の所有である。原被告夫婦の収入では右建築資金の調達は到底不可能であつた。

五、抗弁

原被告の関係が現在の如き状況になつたのは、原告が訴外宮本正史、同本家良一らと不貞の関係にあつたためであるから、原告からの離婚請求は許されるべきではない。

六、抗弁に対する答弁

抗弁事実は否認する。

七、証拠〈略〉

理由

一原告と被告は昭和三一年八月一五日に結婚式を挙げて同棲生活に入り、同三四年二月二日に婚姻届をしたことは当事者間に争いがないのでこれを認めることができる。

二原被告両名の婚姻生活の推移についてみるに、〈証拠〉によれば次のとおり認められる。

(一)  原告(大正一三年生)はかねて訴外亡甲男と婚姻して長男A(昭和二一年生)、次男B(昭和二四年生)をもうけたが昭和二九年に右甲男と死別し、広島市内所在の広島県生活協同組合連合会の事務所に勤務していたところ、右事務所建物を共通にしていた広島県厚生信用組合に勤務する被告(大正六年生)と知り合い、昭和三一年八月に結婚式を挙げ、一時庚午所在の被告両親方に同居したのちまもなく南観音町の住宅に居住するようになつた。

(二)  右結婚後被告はひき続き厚生信用組合に勤務し、原告はまもなく(遅くとも昭和三二年より)住居二階を利用して下宿あるいは間貸しを始めるようになつた(下宿・間貸はその後規模は縮少しながらも昭和四〇年に至るまで続いた)。その後原被告両名は相談のうえ昭和三四年から住居を店舗として「水ひき」製造販売業を始め、原告が主としてこれにたずさわることとなり、昭和三八年に右南観音町の住居を半分売却し残部を店舗部分および間貸部分として残し、住居を庚午南町の被告の父和一方(市営住宅)に移して右店舗に通い、次いで昭和四〇年には右店舗部分(および間貸部分)をも売却して店舗を庚午南町の住居に移し、さらに昭和四二年には紙屋町に店舗を新設するに至つた。なお被告は昭和三五年に前記厚生信用組合を退職したのち沖仲仕、印刷業、運送業手伝等の仕事をするかたわら、「水ひき」の仕事を手伝つていた。

(三)  右の間原被告の生活は楽ではないながらも夫婦とも勤勉に働き、昭和四〇年ころには原告の長男を大学に、次男を高校に各進学させた。なお被告は昭和四〇年一〇月に交通事故で受傷して同年暮まで入院し、また原告は昭和四二年秋から扁桃腺を悪化させてしばらく入院し、さらに翌四三年二月七日から同月二四日まで再度入院した。

(四)  昭和四一、二年の時期における原被告の生活の細部の事情は必ずしも明らかではないが、(後に検討するように右の事情は本件婚姻の破綻原因にかかわることとなる)、遅くとも昭和四二年から同四三年はじめにかけての時期に被告は原告の親族に対し原告の不貞行為をも含む同人の生活態度全般について咎め非難する手紙を送付するようになり、これをきつかけに昭和四三年二月はじめに原告の親族および原被告をまじえた席で双方が努力する旨確認されたが、その後前記のような原告の入院を経て三月はじめには金銭の問題にからんで原被告が若干もみあつたことに端を発して原告が腕や胸等を受傷し、四月はじめには原告名義で加入していた講の掛金の支払のことで双方いさかいとなる等のことがあつて、四月五日に原告の親族や被告の兄も加わつて再度協議がなされ、大むね離婚の方向で合意して財産分与等の話が始められたもののその後被告が離婚を渋つたため協議離婚に至らず、同月一二日には原告が離婚調停を申立て、次いで同月一四日には原告が荷物をまとめて当時の住居である庚午南町の市営住宅を出、以後原被告双方は互いに別居して今日に至つている。その後被告は調停の席において原告の不貞を強調し、調停不調となつた昭和四四年三月にはいやがる原告を産婦人科医のもとに連れていき不貞行為を証明しようとする等のことがあり、本件訴訟の審理過程においても原被告相互の仲が氷解するきざしは全く窺われない。

三以上の経過に照らせば、原告の主張するように被告が家計を顧みずに徒遊していたとまでは認め難く、また原告の挙示する個々の出来事(ことに請求原因(二)(3)(4)(5)(8))がその主張の通りのものであつたとしてもこれらのみで離婚原因となり得るとは解し難いのであるが、しかし少くとも昭和四四年の別居以来既に六年を経過し、その間相互に和解の努力がなされた形跡は全くなく、むしろ調停や訴訟を通じて感情的なこじれは強まる一方であり、互いの愛情は完全に喪失し、もはや従来の婚姻生活が復活する可能性は全く窺われない(被告は原告に対してその非を教え論す如き表現をとることもあるが、これとても原告に対する愛情から出たものとは認め難い)。そうであれば本件婚姻は客観的にもその実質を失なつて破綻しているものと認めるべきである。

四そこで本件婚姻の破綻の原因が原告にあるとの抗弁について検討する。

被告はこの点につき、原告は昭和四〇年秋に被告が交通事故で入院していたころから警察官である乙、同丙と不貞行為に及んでいた旨を供述し、昭和四一年一二月一一日に前者との関係翌四二年七月五月に後者との関係を具体的に摘示しているのに対し、原告および右警察官両名はこれを否定する。

ところで証人〈省略〉および原被告各本人(いずれも第一回)の各供述によれば、被告はかつて軍隊に関係して本件婚姻期間中も旧軍人の組織の役員を勤めており、その関係で昭和四〇年ころから乙が、昭和四二年に入つてからは丙がいずれも広島東署の警備係として被告方を大むね一ないし二ケ月に一回程度の頻度で訪問するようになり、その内には被告不在の折もしばしばあつたことが認められ、これに反する証拠はない。そして乙、丙本家の右訪問を通じて右両名と原告との交際関係が生じていたかの点につき、右両名と原告は否定しているもののそれらの供述には互いに矛盾し、かつ不自然な点が含まれていていささか信用し難い(すなわち、昭和四〇年の被告の入院に対する丙の見舞につき、原告は退院後の昭和四一年のはじめころ丙がケーキを持つて原告方を訪れた旨供述しているのに対し、丙は入院中に手ぶらで病院を訪れたことのみを供述していること、また丙は原告が昭和四三年二月に入院したことにつき四月に折箱を持つて原告方を見舞つた旨供述しているが単に知人である被告の妻に対するものとして不自然であること等、しかし右両名と原告との間で直接の交際関係が生じており、そこに若干の不明朗な点があるのは否定し得ないとしても、それが情交関係にまで進んでいたと認めるにはなお疑問がある。すなわち昭和四一年一二月一一日に乙が、翌四二年七月五日に丙が各々被告の不在中に被告方で原告と会つていた旨の被告の供述も情交の現場自体の目撃を内容とするものではなく、当時右住居には被告の父も同居していたことをも併せ考えれば、右住居において情交関係を結んでいたと認めるのはやや困難であり、その他原告が外出外泊して右関係を結んでいたとの証拠もない。

のみならず被告は昭和四二年の末ころから原告の親族に対して原告を咎め非難する手紙を送るようになつた時点においてもその不測の内容は不貞行為の存在をにおわせつつも原告が夫たる自分を顧みず家庭生活を投げやりにし金銭を浪費するとの趣旨のものであつたと窺われるのであるが、これらの点について原被告本人の各供述および弁論の全趣旨によつてみるに、被告はその生育環境や経歴とも相まつて妻に対し厳格であり服従を要求し、家計についても相談しあうことは少く、一定の収入の枠のもとで妻たる原告にその責任を負わせていたことが推察されるのであり、その結果として原被告相互に各々の生活全般を理解しあえず、相手に対し不満を抱くようになつたという一面は否定できない。

してみれば原告の側に離婚請求を許すべきでないとするほどの有責な事由があるとは認められず、前記認定の本件婚姻の破綻状況は民法七七〇条一項五号にいう「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するものとして、本件離婚の請求を認めざるを得ない。

五次に原告の慰藉料請求ならびに財産分与請求について検討する。

まず慰藉料請求についてみるに、前記認定の事実に照らせば原被告の婚姻が破綻するに至つた責任が主として被告にあるとは断じ難く、従つて原告の被告に対する慰藉料請求権は認められない。

次に財産分与請求についてみるに、原告は前記南観音町の家屋が実質的に原被告の共有財産であるとしてその第三者への売買代金の清算を求めているのであるが、〈証拠〉によれば右家屋は被告の父が老後の生活のため貸家にするつもりで建築したもので原被告の婚姻の約四ケ月前である昭和三一年四月に完成したこと、その資金の一部は父やその子らが出し、大部分を訴外芳松住宅相互株式会社から借入れたうえ同社に対し父が毎月約一万三〇〇〇円ずつ分割して弁済し昭和三五年一月に完済したこと、右家屋の登記名義は被告となつているが建築請負人が誤つて被告名義で建築確認申請をしたことに起因するものであることが認められこれによれば右家屋は被告の父の所有であつたと認められる。〈証拠〉によれば、右弁済期間中被告がその父に対して家賃ないし生活費として毎月六〇〇〇円ないし一万円渡していたことが認められるが、これが右分割金に充当されていたとしても、前記認定(父の所有)を左右せず、その他これを覆えずに足る証拠はない。従つて右家屋の売買代金を原被告間で清算する余地はない。

しかし財産分与の性質としては夫婦共通財産の清算の他に離婚後の扶養料的要素をも含むと解すべきところ、〈証拠〉によれば、(1)被告は原告と別居したのちも広島市内紙屋町の店舗において水引製造販売業を営み、事業所得税の納税分は殆んどないとはいえ年間仕入高約一五〇万円、同売上高約五〇〇万円と相当規模の事業を営んでおり、また前記家屋の第三者への売却代金四五〇万円につき現在既に父が死亡したことによる相続分一五〇万円を有していること、これに対し原告は別居後数ケ所の勤務先を変え月平均数万円の収入を得ているものの健康が優れずしばしば離職しており、格別の財産も有しないこと、(2)前記紙屋町の店舗における原被告の別居以前の営業は右両者の共同経営であつて主として原告の寄与によるものであり、その財産的評価が直ちには困難であるとはいえ、一種の共有財産としての清算を考慮する余地があること、が各認められる。

以上の事実を考慮して、被告は原告に対し財産分与として金一〇〇万円を支払うべきものと認める。

六以上のとおりであるから原告の本訴請求は離婚ならびに前記認定の金額による財産分与ならびにこれに対する判決確定の日の翌日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内において正当であるから認容し、その余の部分は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言の申立については相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。 (平湯真人)

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